代表者紹介

代表者
いたくら

筑波大学大学院修了後、食品メーカーを経てWebライター(個人事業主)になる。上場企業からITベンチャーまで、累計30社以上と契約。現在はメディア運用全体に携わるため、契約先を最大5社に絞っている。WordPressサイト運用歴10年。学生時代には大学院入試メディアを立ち上げ、月間1.5万PVまで伸ばした経験がある。

経歴

in Saitama
幼少期

埼玉県生まれ。父親が転勤族のため、三重や長野に住む。

実家の目の前には桜並木があり、中学のクラスで花見に来たこともあります
in Nagano
高校時代

中学時代に「ロボットを作りたい!」と思い、地元の工業高校に入学。ロボットを作る部活に入り、相撲ロボットやマイコンカーなどの機械設計&製作を担当する。3年時には部長になり、一部門で県大会優勝。(大会当日は大学入試と被ったので欠席しましたが…)

相手のロボットを土俵から押し出したら勝ち、というルールです
in Tokyo
大学時代

都内私立大学の機械工学科に進学。実技は得意でしたが、座学は苦手で友達に教えてもらう日々。4年で研究室に入り、ロボットの研究に取り組みました。大学院でも同じ研究をしようと思っていましたが、教授の定年退職で研究室がなくなるため、他大学の研究室を探すことに。

学費面と就活面を考慮して関東の国公立大学に絞り、計7つの大学を見学。夏に筑波大学、秋に首都大学東京(現東京都立大学)、冬に横浜国立大学を受験することに。なんとか第一志望の筑波大学に合格。

それまではほぼ面識のない2人とチームになりましたが、乃木坂46が好きということで意気投合し、秋田や九州に旅行する仲になりました
in Ibaraki
大学院時代

筑波大学大学院システム情報工学科知能機能システム専攻で、新しいロボットの研究に取り組む。1日中好きな研究に没頭できる生活が楽しかったですが、またもや座学に苦戦。大学時代は1回も単位を落としませんでしたが、数学関連の単位を落としてしまいました。

そこで座学ではなく実技のスキルを伸ばそうと考え、研究室が実施していた小学生向けロボット教室の指導・マニュアル制作にも注力。また、趣味で大学院に関するWebサイトを開設し、月1万PV以上を達成しました。

この会場では、小学生に1〜2時間かけてロボットを作るというイベントをしましたが、バンドソー(切断工具)を一緒に扱うときは本当にハラハラしました…
in Ibaraki
就活開始

中学生の頃からエンジニア志望でしたが、大学院で周囲とのレベルの違いを痛感し、別職種も検討することに。機械工学の専門知識とWebサイト運営で培った文章力を活かしたいと考え、特許出願資料を書くメーカーの知的財産職、そして出版社を志望する。

1年の夏には三菱電機(知的財産職)とキヤノン(知的財産職)、講談社(Webメディア関連職)のインターンに参加。出版社は作家の生活に合わせるため夜勤が多いと知り、大学時代の夜勤ガソリンスタンドで体調を崩した経験から、メーカーに絞ることに。

結果的に、キヤノン(知的財産職)と食品メーカー(総合職)から内定をもらう。キヤノンの知的財産職はその分野でかなり有名ですが、内定先の食品メーカーでは今後知財に力を入れていくと知り、立ち上げから関われると考えて入社。

三菱電機のインターン期間中に、社員さん(男性)と2人でカップルだらけの新江ノ島水族館に行ったのは、なかなか面白かったです
in Kanto
食品メーカー時代

志望していた知的財産職ではなく、食品の製造ラインを担当する生産技術職に配属される。人間関係に恵まれて楽しく働けましたが、夜勤と40℃以上の職場環境が原因で不眠症に。1年以上睡眠薬を飲みながら勤務しました。

ただ、徐々に頭痛が悪化し、自分のミスで一歩間違えれば全身大火傷になる出来事も発生。仕事が怖くなったことでさらに体調不良が悪化し、病院でうつ病と診断されました。半年の休職を経て復職の話が進んだものの、実家や通院先へ通いさすい関東勤務が難しいとわかり、退職することに。

土砂降りの日も、雪の日も、この自転車(同期と“鬱鬱号”と名付けました)で通勤していました
in Chiba
フリーランス時代

転職も考えましたが、若いうちに会社以外の働き方にも挑戦したいと思い、個人事業主になることに。専門知識と文章力が活かせるWebライターに興味があったため、クラウドワークスで案件を獲得。

最初は文字単価1円(時給500円程度)から始まったため、会社員時代の貯金を切り崩しながら生活していました。ITや就活ジャンルを中心に300記事以上執筆して、徐々にWebライターとして生活できるように。

しかし、特定の1社に注力していた矢先に案件が打ち切られ、月20〜30万円の収入が消滅。事業継続が危うくなったが、日本政策金融公庫の融資で持ち直した。これを機に、1社に注力するのを辞め、3〜5社のメディアで執筆するように。

国の相談機関「よろず支援拠点」でアドバイスを受けた後、日本政策金融公庫に行き、無事に融資を受けられました
in Chiba
法人化準備(現在)

実体験を活かした記事を安定的に作りたいと思い、法人化を検討中。将来一緒に仕事できる人と関われるように、Webライター向け事業も開始しました。

代表メッセージ

赤裸々にマイナス面も含めて経歴を書いてみました。ご覧のとおり、到底優秀とは言えない人間なので「この人に頼むのはやめておこう…」と思われたかもしれません。確かに輝かしい経歴ではありませんし、個人事業なのでできることには限りがあります。しかし、やり取りが気持ちよく進むように、真摯で丁寧な対応に努めています。メールを送る際は何度も読み直し、意図がきちんと伝わるかを確認します。ご要望に応えられない場合は、無理に受けるのではなく、他のWebライターさんや編集プロダクションをご紹介します。また、クライアント様への対応がおろそかにならないように常に余裕を持っているため、締め切りに遅れたことは一度もありません。誠心誠意対応いたしますので、興味をお持ちの方はぜひご相談ください。ご連絡をお待ちしております。